巻頭言
内田 樹の


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内田 樹
(神戸女学院大学名誉教授)





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ブレグジットと
貴族政治

 英国の下院総選挙で、離脱派が単独過半数を獲得した。英国はこのままゆくと2020年1月末までにEUから離脱することになる。英国にとってもマイナスの影響が大きいとされるこの選択に、なぜ英国民は踏み切ったのか。専門家たちはいろいろと説明してくれているが、いま一つ腑に落ちない。
 私見によれば、英国民の反発は「ヨーロッパ合衆国」というアイデアに伏流する、ある種の「貴族主義」に対する感情的嫌悪を含んでいる。それについて少し思うところを述べたい。
「ヨーロッパ合衆国」というアイデアの原型はルネサンス期の「文芸共和国」に遡る。ヨーロッパ各地の人文主義者たちが形成した「想像の共同体」である。彼らは「リンガ・フランカ」であるラテン語を用いて手紙を書き、著書を贈り合い、あらゆる主題について意見を交わした。文明史的佳話である。けれども、この「文芸共和国」には「ラテン語が自由に使える知識人たち」以外には参入することが許されなかったという事実を忘れてはいけない。
 大戦間期に『大衆の叛逆』で国民国家の枠組みを超えた「ヨーロッパ合衆国」の構築を呼びかけたのはスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットである。世界大戦とロシア革命とファシズムの勃興のうちにヨーロッパの危機を見たオルテガは、ヨーロッパの再生は「ヨーロッパ合衆国」構想以外にないと書いた。話の筋目は通っている。けれども、オルテガの構想を駆動していたのは理想主義というよりはむしろ「国民国家」という政治単位と、それと無自覚に結託する「大衆」に対する、スペイン人貴族としての生理的嫌悪だった。
 オルテガと同時期に、汎ヨーロッパ主義を掲げて、のちに「EUの父」と呼ばれることになったクーデンホーフ=カレルギーもまたオーストリアの貴族だった。
 カズオ・イシグロの『日の名残り』はフィクションであるが、ここでは英国のダーリントン伯爵が第一次世界大戦の敗戦国への懲罰的な賠償に苦しむドイツを救うために、ヨーロッパ各国の政治家・外交官・貴族たちと会合を重ねるエピソードが出てくる。伯爵は結果的にナチスの伸長に加担することになり、「大衆」に罵倒されて、失意のうちに死ぬ。
 私の個人的印象にすぎないのだが、ヨーロッパ合衆国構想を現実化したEUには、「大衆の頭上を越えたところで、各国のエリートたちが彼らだけの共通言語で対話し、ものごとを決してゆく」という貴族政治のイメージが今もつきまとっているのではないだろうか。
 よく「ブリュッセルの官僚たちに私たちの国の運命を決められたくない」という反EU派の言葉をメディアは伝えるが、ここでいう「ブリュッセル」というのは地理的な意味ではない。どの国民国家にも帰属しない「エリートのサークル」のことである。彼らの国民国家の枠組みを超えた振る舞いに対する「国民国家と結託した大衆の反感」という要素を見落として、英国のEU離脱をただ経済的・地政学的な得失に論点を限定していると、この運動を駆動したポピュリズムの本質を見損なうような気がする。
 ジャン・ルノワールの映画『大いなる幻影』(1937年)は第1次大戦でドイツ軍の捕虜になったフランス人貴族と捕虜収容所のドイツ人貴族の「交流」を描いている。ドイツ人将校は同国人の無教養な兵士たちよりも、敵国の貴族のほうに同族感を覚える。だが、フランス人貴族は葛藤の末に、汎ヨーロッパ的な貴族階級よりも国民国家フランスへの帰属感を優先させる。
 国家か階級かという「帰属先をめぐる葛藤」を日本人は経験したことがない。だが、この葛藤を勘定に入れない限り、EUをめぐるヨーロッパ人の振る舞いは理解が難しいのではあるまいか。
(神戸女学院大学名誉教授)


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