巻頭言
内田 樹の


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内田 樹
(神戸女学院大学名誉教授)





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中国への畏怖が
各国の政治に影響

 米国のメディアを定点観測していると、「中国に対する畏怖」というこれまでに見ることの少なかった新しい心理的ファクターが米政府の政策決定に関与してきていることが知れる。それはAI軍拡競争において、中国が米国に対してアドバンテージを握ったと米国人自身が思い始めているからである。
 AIテクノロジーは汎用性が高い。用途のうち最も破壊的なのは「ディープ・フェイク」である。すでに精密な「フェイク」映像や音声がAIで簡単に作れるようになった。これを政治的プロパガンダに利用して、例えば、投票直前にある候補者の忌まわしい「フェイク」映像や音声をネットに流せば、選挙結果を左右できる。
 2016年の米大統領選挙にはロシアのハッカーが関与したが、来年の大統領選挙でも、米国民を分断させることで受益する見込みがある国々は、「足がつかない」という技術的な保証さえあれば、選挙干渉をためらわないだろう。
 もう1つは「監視テクノロジー」である。中国は全土に張り巡らされた監視カメラとビッグデータ分析と顔認証システムによって市民の行動を把握する仕組みを完成させつつある。民主主義社会では許されない私生活への侵入が中国では治安維持の名分の下に許されている。国民統制技術のレベルで中国はすでに世界一である。
 AI軍拡競争で中国が有利なのは、研究者も技術者も企業も軍も、共産党の指示に従わせることができるからである。国防上必要と党中央が判断すれば、そこにピンポイントですべての資源を集中することができる。
 アメリカではそんなことはできない。民間の科学者にいきなり「明日から国防総省で新兵器を開発しろ」と命じることはできない。軍需産業も政府の統制が利かない。むしろ企業のほうが自社の利益を上げるために米政府の国防政策に影響を与えようとする。F35や空母は中国とのAI軍拡競争には何の役にも立たない「時代遅れの兵器」であるが、企業には在庫がある。しかたなく、米政府はF35を日本に大量に押しつけて、その代金をAI技術の開発費用に回すという面倒な迂回を強いられている。非効率な話である。
 2017年ランド研究所の報告は「妥当な推定を基にすれば、米軍は次に戦闘を求められる戦争で敗北する」と結論づけており、同年、ジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長も、「われわれが現在の軌道を見直さなければ、量的・質的な競争優位を失うだろう」と警告している。(Foreign Affairs Report,2019,No.6)
 さしあたりは専門家による苦言のレベルにとどまっているけれども、米国人は自分たちが軍事力で他国に遅れているのではないかという焦りを久しぶりに(冷戦以来初めて)経験している。こういう心理状態は気がつかないうちに国民世論のうちに浸み込んでゆくものである。「成功事例」を目の当たりに見ると、人間は自他の環境や条件の違いを無視して、「同じこと」を模倣しなければならないのではないかと考えるようになる。
 中国の劇的成功という「成功事例」を今、世界中の人々は日々見せつけられているわけだが、そこから導かれる帰結は「中国みたいにすれば、わが国も同じように成功するかもしれない」という無根拠な期待である。無意識のレベルで起きていることなので、本人は自分がまさかそんなことを考えているとは思ってもいないが、このぼんやりした「中国への畏怖」が今、米国を含む全世界で政策判断に影響を及ぼしていると私は見ている。
 トランプのパフォーマンスそのものが「アメリカにも習近平が必要だ」という有権者の無意識の要請に応えたものではないかと私は疑っている。
(神戸女学院大学名誉教授)


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