巻頭言
内田 樹の


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内田 樹
(神戸女学院大学名誉教授)





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時代の潮目は
「反緊縮」へ

 「反緊縮」政策を掲げる政治運動が世界的な規模で起きている。ジェレミー・コービン率いるイギリス労働党も、オカシオ=コルテスら米民主党のサンダース派も、スペインのポデモスも、フランスの黄色いベスト運動も、共通するのは「反緊縮・反新自由主義」である。わが国でも、反緊縮を掲げるキャンペーンが始まった。この流れは止まらないだろう。
 新自由主義的な経済政策は、国が社会保障や医療や教育への予算を削減して、そこで浮いた分を国際競争に勝てそうなセクターに注ぎ込むというものであった。すべての国家は熾烈な「経済戦争」を戦っている。負けたら終わりなのだから、国民は手持ちの全資源を供出しても、お国のために尽くせというストーリーは俗耳には入りやすかった。
 しかし、「経済戦争」は一種の言葉のマジックである。経済戦争を戦っている主体は国民・国家ではなく民間企業であり、その多くは多国籍企業だからである。確かに、ある企業が他国の企業との競争に勝つと、そこに投資していた各国の投資家たちの個人資産は増えるだろう。でも、彼らの多くは租税回避地に活動拠点を置いているので、企業の置籍国の税収が増えるわけではない。「お国のため」と高い税金を払い、福祉の切り下げに耐えていたら、その分が多国籍企業の株主たちの個人口座に付け替えられていた……ということに気づいた人たちが「反緊縮」を叫び出した。当然だと思う。今の経済活動は経済の人類学的本質から逸脱しているからである。
 経済活動の本質とは何か? それは財貨とサービスの交換のことである。ただし、財貨とサービスの交換を継続的かつ円滑に営むためには、さまざまな工夫が必要になる。交通網・通信網を整備し、共通の言語や度量衡を創り出し、信用や契約や為替といった概念を発明する、などなど。
 トロブリアンド諸島の「クラ交易」は貝殻でできた装身具を交換するだけの経済活動だが、この、使用価値のほとんどないモノを交換するために、人々は船を作り、操船技術を学び、海洋や気象や天文学の知識を身につけ、交易相手との信頼関係を築く……といった一連の努力を求められた。つまり、この交易の隠された目的は交換される「モノ」そのものにではなく、交換を果たし得る「人間」を形成することに存したのである。
 忘れられがちなことなので声を大にして言うが、人間が経済活動を営むのは、それが人間のさまざまな社会的能力の開発に資するからである。モノに価値があるからではない、人間が社会的に成熟することに価値があるから人は交換を行うのである。
 新自由主義経済は交換されるモノそれ自体に価値があって、人間はそのための道具にすぎないという「倒錯」的な経済観に基づいている。確かに、ゲームをしている時は倒錯的なほうが楽しい(「自分の命よりカネのほうが大事だ」と思い込むプレーヤー同士のほうが経済ゲームは白熱する)。でも、それが「倒錯」だということは時々思い出したほうがいい。
 反緊縮は「交換活動に参加できるプレーヤーの数を増やそう」という提案である。これは正しいと私は思っている。今、富は超富裕層に偏在している。世界の上位富裕者42人の資産総額が下位の37億人分の資産総額と等しい。当然、富が偏在すると経済活動は停滞する。超富裕者が天文学的な個人資産で買えるものは、もう株や不動産や石油や貴金属くらいしか残っていないからである。それらは貨幣の代替物にすぎない。だから、富が極限まで偏在化すると、最終的に経済活動は一握りのプレーヤーたちが「貨幣と貨幣を交換する」自己完結サイクルにまで縮減することになる。そこで動くカネの桁数がどれほど大きくても、その活動はもはやいかなる人間的価値の創出にもかかわらないであろう。
 どのような経済政策が人間の市民的成熟を促すのか? この根源的な問いから経済政策の適否を吟味する時期が来たと私は思っている。
(神戸女学院大学名誉教授)


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