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日本新聞協会も入るプレスセンタービルの住人たちは……


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■ジャーナリズムの危機


新聞無用論に反論できない大新聞
始まっている倒産へのカウントダウン

■「2025年、新聞なき世界はどうなる」。そんな話が現実味を持って語られている。だが、日本の抱える事情は新聞消滅の米国とは違う。では、なぜ日本で破綻が起きるのか――

 新聞の存在が希薄になる米国を追うように日本の大新聞の消滅が迫る。年数%の紙の部数の減少額に、デジタル版の販売額の伸び悩みが追いつかない。その上、部数減に見合う人員削減や賃下げにも失敗、早晩、破綻を予測する新聞業界関係者が増えてきた。
 ブランド紙と「持ちつ持たれつ」の関係だった知識人からも「新聞なきあと」の世の中を危惧する声が出始めた。これは驚きであり、ニュースだ。
 例えば神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏は「このままだとある日突然日本を代表する全国紙が消えて、読者が度肝を抜かれるという事態があり得る」「新聞消滅がもたらす社会的影響の大きさを考えると、どうやって新聞を支えるか」とツイートした。
 だが、こうした声にも新聞業界内からは反応はほとんどない。マスコミが自身の危機感を表に出せないのは「怖いものは見たくない」「寝た子を起こすな」という発想だ。新聞週間で「言論の、民主主義の危機」と言っても、熱は入らないし、今の読者層に響かない。危機を自ら吐露することは媒体の価値や威厳、品位を落とすと思っている。
 知識人を紙面の「箔付け」にさんざん利用してきたが、いまやその原稿料は1000円単位の経費削減の標的だ。知識人からは「連載コラムの原稿料が電車代にもならない」といった話が出され、文壇を駆け巡る。
 新聞消滅はジワジワ始まっている。奈良日日新聞社は4月に休刊。ライバルだった奈良新聞社と業務統合し、広告代理店として存続の道を選んだ。奈良日日は1898(明治31)年創刊の歴史があった。
 全国紙は夕刊配達エリアの絞り込みにも着手している。関西では各紙新聞販売店の統合、配達の相互乗り入れなどが盛んだ。関西発祥の産経新聞も人員・印刷工場・販売店をリストラ、関西と関東一部エリアなどを残して、「東阪」のブロック紙化で当面の生き残りを目指すが、こうした縮小均衡は果たして先行きに明るい見通しを持って行われているのだろうか。

実らなかった
大手新聞の大同団結


 紙の新聞の斜陽化、新聞業の危機はまだある。ネット新聞に移行できたところでじり貧は抜け出せない。1000億円、2000億円とあった紙の新聞の収入(広告含む)が、ネットの記事販売では売り上げが100億円に達しない会社ばかりだからだ。
「紙が1部減れば、5部、10部とさらに電子新聞を売らないとダメな状況なのに電子新聞のお試し購読もすぐやめられてしまう」(大手紙販売員)というのだ。
 すでに新聞を取らない「無読世帯」は40代でも半数を超えた。そのため、広告離れも起き、苦境の販売店をかろうじて助けてきた地域のスーパーなどのチラシ類の「折り込み広告」までが減っている。
「ネットニュースの時代」が完璧に実現すると販売店も新聞社も実は万事休す、なのだ。その理由はまだまだある。
 大手紙の大半が横並びの発表的な記事なので、金を払ってまで買う価値のある記事はわずかであるという現実だ。フィナンシャルタイムズなど欧米の一流紙・経済紙が経営が成り立つように課金できているのは独自の情報・分析が多いからだ。
 数年前、英タイムズ紙は5割も値上げし、部数は3/4となったが、収入は2割近くも増えた。欧米では部数だけ大きい日本とは違う新聞への評価があるのだ。それでも名門の米ワシントンポスト紙は今やアマゾンの創業者がオーナーとなった。
 未来の読者である若い世代が紙の新聞を読まない。しかも若年世代が電子新聞に出せるお金は月額1000円程度が限界だと業界で言われつつ、実際には500円の有料試読でさえ読まれない。
 かつて読売、朝日、日経は「あらたにす」(現存)という共同電子サイトで新聞のプラットフォームを新興勢力から奪い返そうとした。だが、参加各社の思惑の違いもあって、電子新聞を新たに刷新できず、ウェブ情報サイトの台頭の前に自滅に近い状況になり、業界の大同団結は遠のいた。
 新聞離れを防ごうと、新聞社は苦し紛れにヤフーなど新聞に取って代わって君臨する電子プラットフォームにただ同然で記事を卸売りしているので、若い世代には「ニュースなんてただで見られるもの」「お金を払うなんて信じられない」というのが半ば常識だ。
 プラットフォームをヤフーなど電子ポータルサイトに完全に奪われた。新聞が下請けに回ってニュース代を叩かれているともいえるが、「ヤフーに出さないと若者の目に留まらない」という方針は各紙が持っているから、八方塞がりの窮状から抜け出せない。
 そのツケが記者に回るなら奴隷労働を強いられそうだが、実際は記者・社員の削減、賃下げはそうそう簡単にはできるわけもない。それが各社の経営を疲弊させている。
 部数減少や配達経費の高騰に悩む読売新聞は1月から超夕刊セットで4037円から4400円に値上げし、他紙が追随した。値上げで10数万部減らした読売の収支はトントンだとみられる。ただ、ライバルだった朝日は「販売面が読売より弱く、部数も収入も減るので値上げできない」と業界でみられている。

誰もが発信できても
ジャーナリズムに非ず

 紙の新聞が減ると、ゴシップや見出しだけで釣るネット的な記事が増える。その内容は、スマホやパソコンの前の「読者」を取り込むため、取材先や広告主を刺激しないもの、分かりやすい話が自ずと増え、本質的な報道、複雑な事情の背景説明などジャーナリズムの必須要素は二の次となる。そこで記者が育つとは思えない。こうした流れは新聞の「民放化」(バラエティーニュース化)ともいえる。だが、宅配コストもゼロに近い民放はドラマなどもあり、そもそも新聞のようにニュースに依存していない。
 しかし、新聞社が記者を長年鍛えるといった社会的機能がなくなれば、どうなるか? 新聞社は数が減ってもいいし、紙の新聞も減ってもいい。だが、同時に、ジャーナリストを育てる機能が失われれば、反骨のジャーナリストは今後、大新聞から生まれるものではなくなるかもしれない。
 電通の新聞局関係者は「今、地方紙も含めて流行っているのは『デジタル』等の名を冠した組織・機構改革ですが、トレンドに10年遅れの新聞社も珍しくない」とこぼす。他方、新聞・テレビなど旧媒体ではガリバーの電通もネット分野は苦手で、「あまり役に立たない」(東北の地方紙幹部)といわれる。ネット対策に双方決定打はない。
 欧米と違い、日本は民主主義とセットの言論の自由も自国民の政治闘争で獲得できたわけではない。敗戦を奇貨としたものだ。欧米からの「輸入品」ともいえる。戦前は政府の情報統制で、戦争を煽ってきたのが新聞だった。権力に弱いままなのは、トランプ政権にフェイクと攻撃されても何度でも立ち上がる米国ジャーナリズムとは違うのだ。日本の報道自由度のランキングも森友問題の忖度報道など業界の自壊もあって、日本は2010年には11位だったが、2017年は72位、現在は67位になっている。この順位の意味も当事者が理解できていない。
 印刷工場の稼働率が落ち込んだ工場も安易に閉められない。人件費が重いのに首切りもできない。何もできないまま部数だけが落ち込み、5年後の決算は予想できない数字となる。中期の予算や中期経営計画など怖くて作れない状況だ。
 それでは生き残る一部の巨大媒体に頼らずニュースを知ることはできるのか? 確かにネット、ツイッター、フェイスブックなどを通じ何らかの情報を発信している延べ人数は多い。しかし、それは「1億総ジャーナリスト時代の到来」を意味しない。
 それに政府や自治体を追い続けるならどうしても数百人規模の記者は必要だろう。そのプロ集団をどういう形で維持し、読者が支えるのか? そこへの道筋への模索はまだ始まっていないお寒い状況なのだ。
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