巻頭言
内田 樹の


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内田 樹
(神戸女学院大学名誉教授)





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皇紀は根づかず
元号は根づいた

 もうすぐ改元である。新元号はどうなるのかまだわからない。政治家たちが余計な注文をつけたせいで元号が生々しい政治的主題になってしまったのは不幸なことである。専門家が純粋に学術的な見地から価値中立的な元号を撰してくれることを今は祈念している。
 元号というのは時間を考量するための一種の度量衡である。ものをはかるのに、メートルやキログラムを用いる文化圏があり、フィートやパウンドを用いる文化圏があり、尺や貫を用いる文化圏がある。それぞれの歴史的必然があって固有の「ものさし」を持っている。
 社会集団ごとに度量衡が違うのは面倒だから世界標準に統一しろ、というような手荒なことを言う人がいるけれど、無茶を言ってはいけない。西暦というのは、キリストの誕生前後で世界の相貌は一変したという「物語」に基づいた度量衡である。たしかに、世界のキリスト教徒にとっては好ましい話だろうが、ヒジュラ暦を採用しているイスラム教徒たちや、仏暦を採用しているタイ人や、ユダヤ暦を採用しているユダヤ教徒たちにとってはそうではない。「これからはそういうローカルな暦法は捨てて、キリスト紀元に統一していただきます」と言っても、彼らがすんなり「はい」と言うとは思われない。
 世界標準がひとつに定まっているほうが便利だということについては私にも異存はない。けれども、それと併用して、時間を区切るためにそれぞれの社会集団が固有の「ものさし」を持つことについてはしかるべき敬意を示してよいと思う。
 かつて本邦には「皇紀」という独自の暦があった。神武天皇の即位を元年とする暦である。でも、これは明治5年に制定されたかなり政策的な性質の暦法で、文化的な習慣としてはついに根づかなかった。われわれが皇紀で記憶しているのは、せいぜい「九七式」とか「零戦」というような軍用機の名称だけである。長く生きてきたが、自分の生年や主要な歴史的事件を皇紀で数える人には、私は一度も会ったことがない。
 この経験が教えてくれるのは、暦法を政治的配慮で発明することは可能だが、それが文化的な伝統として土着するかどうかは、時間が経たないとわからないということである。今わかっているのは、皇紀は日本社会に根づかなかったが、一世一元制の元号は根づいたということである。
 私の父は明治45年の1月に生まれた。明治は7月末日で終わるので、父は半年だけの明治人である。けれども「明治人」としての自己規定は89歳で死ぬまで揺るがなかった。初雪の日には必ず曇天を見上げて「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠じた。
 明治というのがどういう時代であり、明治人とはどのような性格特性を共有するのかが決まったのは明治が終わってずいぶん経ってからである。それは明治人であることが自分のアイデンティティーの根にあると信じた人たちが、集合的に作り上げた「おのれの起源についての物語」である。
 同じことは大正についても、昭和についても行われたと思う。
 私は自分のことを「昭和人」だと思っているけれど、「昭和的」という語が普通名詞化して、その含意が国民的に共有されるようになったのは最近の話である。居酒屋やバーに入って、「お、昭和だな」というような感懐が洩れることがある(紫煙がたちこめ、ロックが流れ、トイレの壁に演劇や映画の黄変したポスターが貼ってあるような店だ)。「昭和的」という形容詞の含意が確定するまでに昭和が終わって四半世紀ほどを要したということである。
「平成とはどういう時代でしたか?」という問いを去年から何度も向けられた。そのつど答えに窮したけれど、窮して当然なのだ。それがわかるのはまだ何十年か先のことである。その頃にはもう私は生きていない。
(神戸女学院大学名誉教授)


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