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■同族経営の難儀


派手な父娘喧嘩の末の大塚家具は
無残な売り上げ減少で身売り交渉

■3年余前には、「働く女性の鑑」のようにもてはやされていた大塚家具の大塚久美子社長が、
その経営手腕にぼろが出て、今度は批判の矢面に立つ。振り返ってみればそれも身から出た錆――

 大塚家具の大塚久美子社長は平成を代表する悪女と評価されるだろう。家族をめちゃくちゃにし、会社もガタガタにした。ただただ自身のプライドと面子に固執し、その体面だけが保てれば、後はどうなってもいいという人生態度である。

広報会社が作り上げた
久美子社長のイメージ


 それは日経ビジネスオンラインの8月3日夕方の「大塚家具、自力再建困難に 身売り交渉大詰め」のスクープ速報から始まった。同報道は8月14日の中間決算発表と同時に同社のスポンサーを発表できるような段取りで交渉が進んでいると伝え、「アパレル、建材、商社、投資ファンドなど数十社に及ぶスポンサー候補と交渉に臨んだが、合意には至っていない」と伝えている。
 これに機敏に反応したのが翌4日の朝日新聞報道だった。1面で大塚家具が最有力候補として交渉しているのが、貸し会議室業のTKPであることを暴露するとともに、大塚家具のメーンバンクである三井住友銀行が対抗馬としてヨドバシカメラを推し、ヨドバシも買収案を提案しているという衝撃的なスクープで追った。
 さらに5日には久美子社長の父である大塚勝久氏(現・匠大塚会長)のインタビュー記事を掲載。大塚家具の幹部が昨年秋、久美子社長の力量を不安視して相談に来ていたことをスクープした。以来、各紙、民放が入り乱れて大塚家具の身売り報道を続けてきた。
 振り返れば、2015年3月の株主総会における委任状獲得競争で、長女の大塚久美子社長(支持率61%)が創業者で父の大塚勝久会長(同36%)を放逐したことにさかのぼる。この時、久美子氏側は広報コンサルタント会社メディアゲインを雇い、メディアゲインの小川勝正社長は、テレビ映えする彼女を民放各社のインタビューやテレビ出演に優先的に応じるあざとい広報戦術を駆使した。聡明な娘社長を頑迷固陋な創業者の父親がいじめているという図式に落とし込み、「理」(久美子氏)と「情」(勝久氏)の戦いという構図を演出したのである。男女雇用機会均等法成立から30年という時期とも重なり、大塚久美子氏は女性誌や民放を中心に「働く女性の鑑」のように扱われてきた。
 しかし、これがまったく違うのである。当時メディアゲインの小川氏は「これは日本企業のコーポレートガバナンスの問題。どっちが正しくて、どっちがおかしいかは明らかでしょう」と言い放ち、彼女の支持に回るような報道内容を予定しているのでなければ「インタビューを仲介しにくい」と、露骨なメディア選別を行った。そうした背景があるから、彼女を登場させたメディアは全般的に久美子氏に同情的な内容になったのである。
 これはフェイクニュースとまでは言わないまでも、事態の真相を歪めていた。意見が対立する場合、対立する両者の言い分を聞くのがジャーナリズムの鉄則だからだ。メディアゲインの提示した条件を断って、彼女に追いやられた父や弟の大塚勝之氏の言い分を聞けば、彼女の側にも相当な問題があることがわかってくる。

混乱の遠因は
長弟への邪推と嫉妬


 あの「親娘喧嘩」とされたものの、そもそもの遠因は、久美子氏が1つ下の弟勝之氏に対して嫉妬してきたことがある。父勝久氏は自身が昭和44年に前身企業を創業した大塚家具をいずれ、長女の久美子氏と長男勝之氏にペアを組ませて継がせたい意向があったとされる。久美子氏に経営企画と広報・IRを任せ、営業は勝之氏に任せたい腹だったと言われる。良家のお嬢様が集う白百合学園から一橋大に進んだ彼女は、3年間の富士銀行勤務を経て、1994年に父の経営する大塚家具に入社。いきなり経営企画室長を任された。その2年後には取締役に就任した。同じく弟の勝之氏も姉と同時期の94年に入社し、いきなり社長室長兼商品開発室長に就任。久美子氏と同じく96年に取締役になり、横浜や有明の店長を歴任してきた。
 同じ時期に入社し、同じような枢要ポストに就き、同時に取締役入り。姉と比べて学歴で劣り、穏和でお坊ちゃん気質の弟はさほどライバル意識を持たなかったようだが、勝ち気で高学歴の姉は「弟に負けてはならじ」と内心秘めるところがあった。結局、「早く私を社長にして!」とせっつく久美子氏に対し「時期尚早」と説く父が対立し、彼女は取締役就任8年後の2004年には退任し、自ら広報コンサルティング会社クオリア・コンサルティングを創業するとともにM&Aコンサルティング会社のフロンティア・マネジメントの広報担当執行役員に就いている。
 しかし、創業間もないベンチャー企業の経営やコンサルタント業はお嬢様育ちの彼女の肌には合わず、再び大塚家具に舞い戻り、09年に社長に就任した。勝久氏がいったん会長と社長を兼務した時期を挟んで、15年1月以降、再び社長に就き、委任状獲得競争の後は完全に実権を掌握している。
 とはいえ、母の千代子さんはやはり男子に継承させたかったのか、「いずれ長男の勝之氏を社長に」と考えていたようである。それに対し父勝久氏は、自身と性格が似ているという久美子氏のほうを買い、長男を頼りなく思っていた節がある。
 こうした家族関係のもと久美子氏は両親と弟勝之氏を「仮想敵」とみなし、相続問題をフレームアップして他の妹弟、次女舞子(資産管理会社ききょう企画社長)、3女智子(夫は佐野春生・大塚家具取締役専務執行役員)、次男雅之(同執行役員社長室長)を味方につける作戦に出る。いずれ父親の持っている大塚家具株式を相続する際に相続税の支払いが大変になるとして、約30%あった父の持ち株のうち10%を資産管理会社ききょう企画に譲渡させた。これが後の委任状獲得競争の際に勝久氏に不利に働き、久美子氏を利することになったのだった。

資金繰り破綻に陥る
可能性が現実味


 こうした経緯を経て父と長弟を放逐した久美子社長は、15年に全権を掌握すると、2人の路線の全面否定に乗り出した。高いものでは100万円以上もするソファなど利幅の厚い高級家具を揃える大塚家具は、コンサルティング営業が競争力の源泉だった。客が来店すると、受付で氏名や来店目的などの記入を求め、営業担当者が客にアテンドし、店内を紹介するという手法である。冷やかしで買い求めなかった客にも、当該の担当者がDMを送り続ける。購入客の購入履歴は「カルテ」と称される顧客記録に記され、子供の入学など売り込める時機を狙ってセールスプロモーションをかける。客には少々煩わしいのだが、こうした至れり尽くせりの営業スタイルが高額商品を売りつけるのには役立ってきた。
 この営業手法を全面的に廃し、受付とコンサルティング営業をやめたのが久美子流改革である。イケアやニトリのように客が自由に見て歩けるようにしたのであるが、品物の単価がせいぜい数万円のイケアやニトリの商品であれば客はセルフで買って帰るが、数十万〜数百万円もする大塚家具の商品ではそうもいかない。ふらりと来て百数十万円ものソファやテーブルを買って帰る客なんていないのだ。
 この結果、大塚家具は極度の売り上げ不振に陥っていく。久美子体制が確立した15年12月期決算は純損益がかろうじて3億円余の黒字を確保したが、16年12月期は45億円の赤字に、17年12月期には72億円もの巨額赤字を計上するに至っている。月次の全店舗売上高は17年7月を最後に12カ月連続で前年割れ。父勝久氏時代から比べて3割も売上高が減っているのだ。久美子氏は「親娘喧嘩の報道が出るたびに来店客数が落ちる」とマスコミ報道のせいにしているが、委任状争奪戦以降の3年間はさほどマスコミで話題に上らなくなっていた。マスコミのせいではなく、自身の営業戦略の大失敗にほかならない。
(以下、本誌をご覧ください)
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