ダミー
ダミー

ダミー
まさに「歴史ある」築地市場


ダミー


ダミー



購読のお申し込み

デジタル雑誌のお求めは
こちらよりどうぞ




こちらからも
お求めいただけます。



■都市政策の混乱


本当は豊洲より危うい築地市場
掘れば何でも出る「汚染地」が現実

■築地市場の豊洲移転問題のキーワードは「土壌汚染」。東京ガス跡地の豊洲は生鮮食品を扱うのに地下の土壌汚染があり、安心・安全にとはいかないからだという。だが、それを言うなら……

 築地市場の「地歴」を探れば、築地市場は汚染や紛争に明け暮れた500年の歴史が「出土」する。稀有の都市計画家の後藤新平が模索した、日本橋にあった魚河岸の築地移転は、反対運動の中で関東大震災を奇貨として実現する。今、後藤新平の都市政策を崇拝する小池百合子都知事が、汚染リスクがある築地市場に固執するが、その謎解きは難しくない。

              ◇

築地市場の存続に
疑問符が付くT古文書U


 明暦の大火と本願寺移転による埋め立て(築地)と門前市、松平定信の下屋敷、幕府軍艦操練所、海軍学校・造船所、移転をめぐり東京市議を巻き込んだ業者の板船疑獄、毒ガス研究(戦前)、GHQ接収、クリーニング工場、ビキニ環礁水爆実験での第五福竜丸被ばくマグロの「埋葬」……。
 豊洲市場用地買収の「汚染具合」を暴く都議会の百条委員会をきっかけに、過去のT古文書U(公文書)をあぶり出されると、築地の不都合な地歴が明るみに出て、築地市場の「存続」にも豊洲と同じ疑問符が付く。
 築地市場は関東大震災で崩壊した日本橋の魚河岸が移ってきたことになっているが、話は簡単ではない。築地の波乱万丈の地歴は安心・安全と言い難い歴史を語ってくれる。
 3月、小池知事は会見で豊洲市場の土壌汚染対策について「消費者が合理的に考えてくれるかクエスチョンマークだ」と述べた。これが自民党都議連の逆襲の発火点になった。築地市場の汚染については「コンクリートに覆われているから大丈夫」とも言うがために、「それなら豊洲市場も大丈夫なはずだ」と突っ込まれているのだ。
 小池知事は「豊洲は土壌汚染対策法が求める安全基準を満たしているが、築地市場(中央区)からの移転に否定的な消費者が心配している」と言わざるを得ないところまで追い込まれた。
 この発言は、東京都が築地市場について「敷地全体に土壌汚染の恐れがある」とする報告を昨春にまとめていたことを受けてのものだった。これは、条例に基づいて築地の文献等を調べる地歴調査で分かった。かつて進駐軍兵士の軍服を洗うドライクリーニング工場などがあり、有害物質が使用されていた可能性を指摘。都環境局も「敷地全体に汚染の恐れがある」とした。
 3月7日には、築地市場の土壌から環境基準の2.4倍にあたるヒ素などの有害物質が検出されていたことが判明。これは都道の建設工事に併せて2013年に都が検査した結果で、基準を超える有害物質検出は初めてだった。
 3月まで結果を公表しなかった都は「道路工事の際に土壌から環境基準超の有害物質が検出される例はあるが、その都度の公表はしてない」と開き直った。今後、簡便な土壌調査をして6月末にも結果が出せるが、公表は7月2日の都議選後の可能性もある。
 また、01年以降、同市場で8件の店舗耐震補強工事などの際にも十分な調査をしていなかったことも認めた。

小池都知事の
苦しい答弁


 さらに百条委員会の直前の3月の都議会予算委員会では、築地の安全性についての質問で小池知事までもが窮地に立たされた。自民都議からの「豊洲とどちらが衛生的なのか」との質問に対し、小池知事が「築地市場は長い歴史があって愛されてきた」等と、はぐらかすような答弁ぶり。これには議場は怒号が響き、騒然となった。
 委員長が知事のちぐはぐな答弁ぶりを注意したのだが、知事の姿勢は最後まで変わらない。別の議員も「答弁をすり替えるな」と攻撃、知事の逃げ答弁で審議空転も起きた。
 自民は大きな写真パネルを使って、老朽化した築地の現状を追及。都の中央卸売市場長は老朽化する建物について「耐震基準を満たしていない」と答弁し、豪雨で水があふれ、路面が冠水する被害に触れた。さらには、カラスやドブネズミも共棲する「開放型」の築地と、外気と遮断して温度制御もできる閉鎖型の豊洲市場を比較するいやみな質問も相次いだ。
 これに小池知事は「築地はさまざまな調査をし、日々の衛生管理で努力している。まだ豊洲は開場していないので比較は難しい」と逃げた。自民は「どちらが衛生的か聞いているのだ」と迫ったが、知事は明確にしない。建材にアスベストが使われたとの指摘に対しても「築地は現に今日も営業している。消費者の安心の証明」とかわすのが精いっぱいだった。
 一方、都は豊洲市場を「検査済証で施設の安全を改めて確認した」と説明、知事も「法的に求められている点はカバーしている」と認めざるを得なかった。また、公明党の議員は、築地で戦前、毒ガス研究がされたとの調査結果にも言及した。

都市計画と
波乱万丈の地歴


 1933年にほぼ完成した現在の築地市場でも、80年以上も前にも移転をめぐって業者と東京市は大騒動を繰り広げ、想定外の事態が頻発してきた。昭和に入って何とか築地市場は日本橋の魚河岸から移転したが、当初は移転反対派の業者らが移転をボイコットした。
 日本橋の魚河岸は民間施設で、大正時代になっても路上で「板船」と呼ばれる平板に魚を並べ、それが利権の塊だった。魚を売る道端はぬかるんで衛生面はお構いなし。このため、内務大臣や東京市長を務めた後藤新平らが、鉄道便(主要駅からの専用引き込み線)に対応できる官営の近代市場の候補地として汐留駅近く(築地)への移転構想を震災前の早い時期から温めた。
 ただ、都内の無電柱化政策で後藤の「大風呂敷」(壮大な都市計画)を手本とする小池知事は、後藤の市場移転策の難儀を熟知しているわけではない。
 日本橋の魚河岸で魚を売る場所の権利「板船権」を持つ問屋らが移転に反発して潰し、市場の近代化を遅らせた。都職員は「昔も今も業者は同じですが、こんなこと口が裂けても言えません」という。現場監督の築地市場長は実は不人気ポストだ。
 1923年(大正12年)の天災で反対派は大きく揺らぐ。1918年の米騒動を発端に食品価格の暴騰を抑えるため、中央卸売市場法が公布された。この市場が民から官の手に移るタイミングで関東大震災が勃発。建物も財政も脆弱な日本橋の魚河岸も壊滅的な被害を受けた。ここぞとばかり、東京市は築地に臨時市場を設けようとする。
 だが、移転すれば漁師も巻き込んでいる板船権は水泡に帰す。そこで移転と引き換えに、廃業も危惧する問屋らの補償要求が激しくなり、現ナマが東京市議会議員に飛び交う「板船疑獄」が起きた。特権的な地位を持つ閉鎖的な取引所の実権が崩壊寸前。そこに「公正な価格で食料安定供給に資する」政治側の建前に現金が投げ込まれた。
 水運、鉄道に恵まれた築地の海軍省所有地を借り受けて臨時の東京市設の市場が開設されたのは、後藤らに想起されてから三十年程度はかかっていた。
 築地市場は本願寺や天災との縁が切れない。震災で築地は焼け野原と化し、後藤の帝都復興計画に沿って新大橋通りなどの大規模な道や区画整理が断行され、寺院が移転。さらに、江戸時代にさかのぼれば、1657年の「明暦の大火」で浅草近くの本願寺が焼失。区画整理で、お寺の代替え地として八丁堀の海上を埋め立てた歴史もある。
 門徒は難所八丁堀の埋め立てで土地を築き、「築地」をつくった。場外市場の門跡通りは寺の門前だったが、それは現在、築地場外の「もんぜき通り」にあたり、本願寺は市場業者の信心を集め、彼らの駐車場のほか、決起場所としても使われてきた。
 文明開化の租界地であり、海軍の要があり、戦後は進駐され、米軍のビキニ水爆実験の後遺症(原爆マグロの「埋葬」)を引きずる築地は波乱万丈の地歴を誇っている。
ダミー
ダミー
ダミー

(C)2017 株式会社エルネオス出版社. All rights reserved.
〒105-0003 東京都港区西新橋1-22-7 丸万7号館4F 
TEL.03-3507-0323 FAX.03-3507-0393 eMAIL: info@elneos.co.jp