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「選択」事件とは (2004年9月号)
 今年4月20日、政官財のエリート層に多くの読者を持っていた会員制情報誌「選択」を発行している選択出版の子会社・選択エージェンシーの営業部長が、厚生労働省職員への贈賄容疑で逮捕された。6月8日には同容疑で、同社の尾尻和紀社長が逮捕されている。厚労省の補助金で製作されるビデオや冊子を入札のない随意契約で受注。破格の収益を上げていた一方で、「監修料」などの名目で厚労省役人に還流していた容疑。会社設立間もない選択エージェンシーがこうした仕事を受注できたのは、雑誌「選択」の厚生労働省人脈や影響力を背景にしたもので、税金を食い物にした違法なビジネスとして指弾されている。
 さらに、選択エージェンシーが主導して「癒しと安らぎのフォーラム」なるイベントを開催。その協賛金集めにも同様な「選択」の影響力利用への批判が集まっている。その上、実行委員会会計である協賛金の1部を選択エージェンシーの収益にしている疑惑も浮上している。
「選択」では、昨年12月から今年3月にかけて相次いで編集長が解任されている。その1人で、前述の選択エージェンシーの営業手法を選択出版の湯浅正己社長に諫言したとされる阿部重夫・元編集長は、4月1日、同氏や家族への「家族全員が血祭りになりますよ」等の脅迫状などを証拠に「被疑者不詳」のまま脅迫容疑で刑事告訴している。
 一連の問題に湯浅社長は「子会社の問題」「過剰信頼していた」等、自らの責任や雑誌の影響力を利用したビジネスへの批判をかわしているため、雑誌「選択」そのものへの批判が高まっている。(編集部)
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■雑誌の力を違法な金儲けに利用するなど、あってはならない。だが、予約購読制雑誌「選択」がその罪を犯した。育ての親である元専務が、その背景を綴る第2弾──

 選択出版の社長である湯浅正己君は「選択」8月号で、自らが元凶である不祥事に対して湧き起こっている批判を「外野席での、この時とばかりの言いたい放題……」と書いた。ならば、私のこの手記での訴えを、湯浅君は「外野の声」と聞くのか、「身内の声」と聞いてくれるのか……。
             ◇
 選択出版創業者の1人、飯塚昭男の永眠を受けて私は、女房の兄でもあり、22年間「選択」でともに仕事をした仲であることもあって、昨年末に喪中のはがきを早々に出していた。しかし、それでもなお、故人となられた渡辺美智雄・元外務大臣の実兄でご高齢の渡辺嚆夫(さきお)様をはじめ、全国各地の方々から、たくさんの賀状が届いた。
 その中の1通、特に気にかかったのが、中央大学辞達学会の後輩で、日本政経倶楽部の事務局長をしている林勝義君の賀状に書き添えられていた「『選択』は飯塚さんが亡くなられたら、内紛が起こっているようですね」の一言だった。
 しかし正直に言えば、その頃はまだ、この問題を「そろそろ始まったか?」という程度に思っていた。昨年12月号では、飯塚と湯浅君が三顧の礼で迎え入れた阿部重夫・編集長が更迭されていたからでもある。
 選択出版において湯浅君の下で一緒に働いた人に、円満退社がほとんどいないと言われるのはなぜか。決して彼が編集のプロで、仕事に厳しいからではない。湯浅君の人間性に欠陥があるからだとしか言いようがあるまい。
 その湯浅君が、またまた人切りを始めたかというくらいに受け止めていたのである。
 そんな私の周辺がにわかに騒がしくなったのは、今年の3月下旬である。
 東京即売という新聞や雑誌の販売会社で、会長秘書を古稀まで務めた石川朗氏からは「選択の子会社が事件を起こしたようなので心配だ」との電話が入り、それを契機にたくさんの人から、「週刊現代」を読んだか、「週刊新潮」を読んだかと問い合わせを受け、「『選択』はどうなっているのか」と聞かれる。厚生労働省の役人と組んで違法な金儲けをしているような話が流れる。
 さらに、「選択」誌面を利用して「『癒しと安らぎの環境』フォーラム」なるイベントを仕掛け、法外な協賛金集めをしているなどということが問題になり始めた。

湯浅君の弁明は「報道はみんなウソ」

 しかし、私はすでに選択出版の専務を辞めて9年になる。今のことなど、具体的には何も知らない。
 そうこうするうちに、阿部重夫・元編集長が脅迫を受けていると警視庁に被害届を出し、記者会見まで開いたことが報道された。この脅迫事件に「選択」問題が深く関わっていそうなことまでが伝えられた。
 4月2日だったと記憶する。私は湯浅君が家族と離れて1人暮らしをしている三田(東京・港区)のマンションに電話をしてみた。「湯浅さんよ、一体、どうなんだ」と率直に聞くと、彼は「今、出かけようとしていたところですから」と電話を急いで切り上げるようにしながら、こう返事をした。「はっきり申し上げますが、今出ている話、あれは全部ウソですよ。そういうことは絶対にないから。テレビや雑誌が騒いでいるようなことは全くやっていない。一切ない。ウソだから」
 私は「君にそう言われれば信ずるしかないなぁ」と言うしかなかった。
 その後は、どんなに電話をしても湯浅君は出なくなってしまった。家族のいる家に伝言を頼んでも、きょうまでなしのツブテのままである。

尾尻君が見せた強気と困惑ぶり

 尾尻君にも電話をした。
 尾尻君とは退職後も時々、連絡をとっている。彼と飯塚には、私が退職する時に、「私の指示があるまでは3人だけの書類にして絶対に他人には見せないように」と言って、「選択」創刊時からの拡販協力者(社)の名前と拡販部数が克明に記録された私の貴重な資料(「個人推薦による拡販ご協力者と申し込み部数記録」)のコピーを渡してあった。飯塚が亡くなったあと、私は尾尻君に、そのコピーを是非、必ず湯浅君に見せるようにと伝えておいた。長いこと秘してきた貴重な書類をあえて見せるよう伝えたのは、飯塚の死後、阿部編集長の解任などに合わせて「選択」草創期のことなどで嘘を並べて自分を美化し続ける湯浅君に、僻見(へきけん)を正すと共に、創刊時の、あの苦労を思い出させて謙虚になるようにとのメッセージを込めてのことだった。
 尾尻君は「あの書類は間違いなく湯浅さんに渡しました」と言う。それを見ていたから、湯浅君は私を敬遠したのだろう。「尾尻君、えらく世間を騒がしているじゃないか。どうなっているんだ」と聞くと、彼は、
「伊月さん、困ったもんです。実は大変なんです。今、会社は存亡の瀬戸際なんで
す。大変なことになりそうなんです」
 と言う。
 阿部編集長の後任として編集長に就任し、湯浅君が経歴と編集者としての力量を誉め称えた宮嶋巌君も、たった4カ月で編集長辞任どころか退社した。阿部編集長を迎えたときには「阿部=宮嶋コンビは現在の出版界では『最強の布陣』」とまで自慢していたというのに、どうしたのだろう。それを聞くと尾尻君は、「伊月さん、宮嶋君は恐ろしい男ですよ。阿部(重夫・元編集長)さんが大変なスポンサーをつけて、『選択』の乗っ取りをやるつもりらしいです。それに宮嶋君も協力していて、ついていくらしいです。だから会社は大変なんですよ」
 湯浅君は「何にも問題はない」と言っていたのに、これは一体どういうことになっているのだ。
 私の在任中も退職後も、常に礼儀正しく誠実で、1度たりとも嫌な思いをしたことのない彼に何事が……と気になった私は、さっそく宮嶋君に電話をした。留守番電話になっていたので、返事をくれるように吹き込んでおいたところ、折り返しかかってきた電話で彼は、こう言った。
「もう、私は『選択』のことは何も言いたくないんです。もう、何も関係ありませんから。尾尻という男は信用できませんから」

「選択」から出た逮捕者と尾尻君の処遇

 多くの知人から「『選択』はどうなっている」と心配されているのに、直近の編集長や専務の尾尻君が、それぞれにこんなことを言っているとは、何がどうなっているのか分からなかった。
 世間の評価が高いといわれる「選択」を、たくさんの人たちに支えられながら苦労して育ててきた1人として、愛着は人一倍ある。それだけに、気が気ではなかった。
 そうこうするうちに、4月20日には、「選択」の営業部門を扱ってきた子会社、選択エージェンシーの杉山仁・営業部長が、厚生労働省役人への贈賄容疑で逮捕された。
 そこで再び尾尻君に電話をすると、彼は私に、「伊月さん、弁護士さんが言うには、伊月さんはあちこちに電話しているようですね」と詰問してきた。いかにも私が何かおかしなことをやっているとでもいうような言い方だった。電話の横に弁護士がいるな、と感じた私は、
「何を言うか! みんなが心配して、私のところにはあちこちから電話がかかってくるんだ。信じていた『選択』が本当に違法行為などをやっていたら大変なことなんだ! それが君には分からないのか! 弁護士さんがいらっしゃるなら、いつでもお会いするからと言ってくれ!」
 と、やり返した。
 さらに数日後、彼は、「今日をもちまして選択エージェンシーは解散です。社長も辞めます」と言ってきた。
「そんなことを言っても、君は本体(選択出版)の専務になっているではないか。飯塚亡きあと、なぜに湯浅でなく君が発行人になっているんだ。ならされたのか! そんなことですむのか!」
 私がこう言って問い詰めると、尾尻君は「その通りです。発行人は辞めましたから。選択出版の専務も伊月さんの言われるように辞めるよう申し入れます」と言い出した。
「そんなことは当たり前のことじゃないか」と言って、この電話は終わった。
 しかし、6月8日、ついに尾尻君も逮捕されてしまった。
 もちろん尾尻君の罪は重い。どんな高額所得者になっていたのかは知らないが、都心の億ションに住み、いろいろな会合にも黒塗りのハイヤーで乗りつけるまでに思い上がってしまっていたと私の耳にまで入る。結果的には湯浅君の言うがままに金儲けに走っていたのだから、決して許されることはない。「選択」誌面の持つ力、影響力を利用して金儲けをした罪は、きちんと徹底的に償わねばならない。

2人で一人前だった飯塚=湯浅コンビ

 だが、問題の元凶は湯浅君である。
 それでも湯浅君は「選択」誌面を使って居直りの自己弁護を繰り返し、それも通用しないと見るや、部下の責任として自らも被害者であるかのごとくに装って、今もってその責任を認めようとしない。
 あえて書こう。
「湯浅君よ、恥を知れ!!」
 いつの頃からか。「選択」が順調に部数を伸ばし始めるにつれて、湯浅君は「編集のプロ」と、その世界では認められるようになったようだ。私もそういう声を何度か聞いた。だから私は、それを認めて編集のやることには一切口出ししてこなかった。もちろん販売のための主張はしたが、それはお互いにプロとプロとしての関係であった。
 それでも、私には危惧があった。飯塚と湯浅君は、表と裏の役割分担とでもいおうか、雑誌を作る立場、編集者としては、どちらが欠けてもたちゆかなくなる、そんな関係だった。
 ガニ股で男っぽく歩く飯塚に対して、女性のように内股で歩く湯浅君は、2人3脚というよりも、2人で一人前。そうしてできた「一人」は、極めて優れた書き手でもあり、編集者であったと言うべきであろう。だが、そんな役割分担にあっては、裏に回る者が本当の実力者であることが多い。それが私の危惧の一端でもあった。
 飯塚には、「選択エージェンシーがいくら金儲けに精を出していても、まさかここまであくどいことをやっているとは思わなかっただろう」という同情もできないではない。しかし、「選択」誌面を信じ、クオリティーマガジンとして評価してくださっていた読者や広告主、筆者たちへの裏切りを考えれば、そんな同情も許されることではないだろう。亡き飯塚には厳しいことを言うようだが、飯塚は、今回発覚したような法を犯し、誌面の評価を悪用してまでも金儲けに走った湯浅君の暴走を、もっと早く止めるべき責任があった。その兆候は、随分と前から見えていた。
 今改めて考えれば、編集のプロといわれてきた湯浅君のそれは、すべて金のためであった。「ジャーナリズムとは何か」を語ることはできても、それは金儲けのために掲げる建前でしかなかった。それが語れるのも、金という背景があったからであり、理想や建前を語ることがたまたま金儲けにつながったのが、湯浅君にとっての「選択」だったことが、今回の事後対応にもよく見えているではないか。
 評価される高級誌を作ることを目指したのか、金儲けのために高級誌を作りたかったのか。「鶏が先か、卵が先か」という議論があるが、今となっては、金儲けのためだったと見ない限り、彼の言動は理解不可能である。
 そういう彼の性根は中にいなければ見えないから、彼を「編集のプロ」だの「天才」とまで称えてきた多くの筆者は欺かれ続けてきたのだろう。彼の本心、いや、本当の人間性を知らなかったからだろう。
 今、彼と親身につき合っている人がいるのだろうか。金の関係を抜きにして彼と腹を割って語り合うことができ、天下国家を論じ、私的な人間関係を保っている人物がはたして何人いるのだろうか。いたとしたら、「子会社」と言い訳する選択エージェンシーも本体の選択出版も含めた「選択」のすべてのワンマン・オーナーとして名実ともに君臨してきた彼が、かくも無責任な言動を続けていることに諫言しないはずがない。
 湯浅君も当初は、あるいは理想に燃えていたのかもしれない。だが、かなり以前から金のことを言い続けていた。そして「選択」の金は、すべて湯浅君が仕切っていたのである。

「売り上げを増やして欲しい」測りかねた湯浅君の注文

 湯浅君が異様に金に執着していることを私が気にするようになったのは、私が選択出版の専務を辞任する3、4年前のことだった。
 私は在籍中、売り上げと入金だけは確認するものの、業務部の使用明細を明らかにしてそのつど実費経費を受け取る以外、支出には一切関与してこなかった。だが、毎月の入金確認をするということは、預金残高も分かる。
 いつの頃からか、この預金残高がある程度貯まると、ガバッと引き出されてしまうようになった。それがどう使われたのかまでは詮索したことはない。選択出版の経理は、ずっとすべて湯浅君が握ってきたからである。飯塚も湯浅君に任せきりだった。「選択」の印刷代金や原稿料、取材費、人件費など、いくらかかっているかは正確には分からなかった。それよりむしろ、飯塚と義兄弟なるがゆえに立ち入らなかった。しかし私は、専務の職責上、社内外の動きは敏感にチェックし、2人の顔色と態度で講演の件か取材関連か、ある種の工作か、創刊当初の資金賛助金関連の株主対策か、共同謀議は分かっている。
 さて、私が退職する3、4年程前、平成3、4年頃のある日のこと。すでに日頃ほとんど会話もしないように私を避けていた湯浅君が突然、意を決したように、こんなことを言ってきた。
「伊月さん、お金が欲しいんだ。もうちょっと売り上げを増やしてもらいたいんだ」
 私が1995年5月に、年間10億円の売り上げ達成を期に退社したことを思えば、当時でさえ、相当豊かな財務体質になっているはずであった。だから、これには私もあっけにとられて、こう返事をした。
「湯浅さんな、俺にこれ以上の特策はないよ。俺には編集のようなスクープなんていうものもないんだ。ステップ・バイ・ステップで1段1段という販売方式しかないんだよ。特別な技術もない。誠実さと行動力だけだ。同じ作業の繰り返しで、毎月1部でも純増させて、自分で1人乾杯をする。それが販売というものなんだよ。『選択』も、そうやってここまできたんだよ。湯浅さんも(毎日そのやり方を見てきているのだから)それくらい分かっているだろ? 俺にはもう、これ以上の特策はないから、悪いけど期待しないでくれよ」
 そして、「ウ〜ン」とうなったきりの湯浅君に、こう聞いた。「何か困ったことがあるの? 金が要るの?」
 そんな大事な話なら、飯塚と3人できちんと話し合うべきなのだが、相変わらず、選択出版の経営についての話など一切なく、飯塚も湯浅君もまともに話をしないどころか、この頃には、すでに顔さえ合わせないようにしているのが実情だった。
 そんな状態で「金が要る」というのは、どういうことだったのか。いろいろな噂はあった。だが、今はっきり言えることは、その当時でさえ、「選択」を発行していくには十分すぎる売り上げが上がっており、出版界でもトップクラスの取材費や原稿料を支払ってなお、充分な黒字になっていたはずだということである。
 湯浅君は、何も言わずに黙り込んだまま、しばらくじっとしていた。そしてとうとう肝心のことは何も語らないまま行ってしまった。

特殊記事の3,000部増刷で湯浅君が見せた失態

 この時、湯浅君がわざわざ「もっと売り上げを伸ばしてくれ」と言ってきたのは、異例のことだった。だが、それよりも、湯浅君が私に話しかけてきたこと自体、もっと異例だった。
 私が入社して3、4年たった頃のことだった。彼はある号について3,000部の増刷を飯塚に要請して了承を取りつけた。ところが、増刷分のうち1,000部は持ち出されたものの、残りの2,000部が、当時、選択出版が入居していた西新橋のビルの階段に積まれたまま放置されていた。仲介した人間の口車に乗ってしまったのか、買い取り先に運ばれないまま宙に浮いたのである。
 しかも彼は、印刷原価代の請求金額を1桁間違える失態を重ねた。
 その後、100部、200部と少しずつ持ち出されるのを、当時働いていた機転の利く営業部員がこっそりあとをつけたところ、運ばれた先は某巨大宗教団体の関係するところだったと、私に報告してきた。だが、あの時に湯浅君がなぜ慌しく3,000部を突如、いかなる目的で増刷したのか? その経緯は、今も私には定かではない。
 その時に私は編集のフロアに行って、湯浅君に「いつまで階段に置いておくのだ。早く相手に引き取ってもらってくれ」と注文をつけた。
 これが増刷を受注し、売り上げに貢献したと思っていた湯浅君のプライドをいたく傷つけたらしい。この時から先、彼は道ですれ違ってもプイッと横を向いて私と口さえ聞かないようになった。遠くから私の姿を見れば、脇道に入ってしまう。その消え方は実にみごとなほどだった。
 そんな湯浅君が「もっとお金が欲しい」と言ってきたのだから、よほどの決意だったのだろう。それを私は、あっさりと断ったのである。何も言わずに出て行ってしまってから、その後、ますます湯浅君は私を避けるようになっていった。
 だが、それはそれで私は一向に構わなかった。「選択」が創刊されて8カ月後の昭和51年(76年)の正月、飯塚が拙宅に泊まり、経営の現況と責任者としての心境を腹を割って私に吐露した。口下手の飯塚の瞳に苦悩の中にも“志”の閃きを感じとって、彼やその同士の役に立つように私は、「俺の出番だ」と決心した。そして入社した原点がある(その経緯は次号で詳述しよう)。
 その私が入社して3、4年目のこと。増刷した号はいちいち調べないが、そのことがあって以降、湯浅君が私から遠ざかって行った頃は、完全に経営は軌道に乗っていた。だから、湯浅君は変わった男だったんだなあ……と気にもせず、そのうちまた、話しかけてくるだろう程度に思っていた。

湯浅主導で創設した選択エージェンシー

 ところが湯浅君は、私の知らないところで、とんでもない画策を始めていた。湯浅君なりの新たな金儲け手段として思いついたのだろう。それが今回、違法行為まで引き起こして「選択」を汚し、信用を失墜させた「選択エージェンシー」の創設だったのである。
 その金儲けの手法を諌めたために湯浅君から選択出版を追われる形になったといわれている阿部重夫・元編集長を迎えた時、湯浅君は、「裏通り」でこんなことを書いている。
「では、創業世代はこのあと何をやるのか―。飯塚は社長のままで、看板役を続けます。『視点』もなくなりません。もう1人のY生は、編集投資増大に備えて経営の一層の基盤強化に精を出します。具体的には、営業部門トップの尾尻和紀を手伝って、広告総代理店『選択エージェンシー』の業容拡充に取り組みます。『選択』本誌の営業活動とはまた別に、電通や博報堂がやっているような代理業のすべての分野に進出してゆくつもりです。近未来の代理業がどうあるべきかを模索しながら、目の黒いうちにこの業界の一角に地歩を築きたいと高望みをしているのです」(99年11月号)「(尾尻和紀は)選択出版の営業部隊である『選択エージジェンシー』の社長を兼務し、ほとんど徒手空拳でユニークな良い会社に育て上げています。この会社はそもそも、地道に雑誌の拡販にはげんでいる営業マン(ウーマン)の努力に報いるためにつくったようなもので、面白いビジネスならなんでもありが方針。尾尻が古巣から引き抜いてきたメンバーが急成長したこともあって、いまでは本体顔負けの元気さ。『選択』を支える力をつけております」(2004年1月号)
 今となっては、この大風呂敷、大ボラが命取りだろう。湯浅君は「子会社の問題」「過剰信頼」だのと、今さら言い訳できないことがよく分かる「宣言」だった。
 だが、この奇麗事の大ボラさえ、湯浅君の本音隠しであることは、私が1番良く知っている。何しろ、私に新たな金儲けを拒否された彼が、私に代わってそれをさせるべく大日本印刷から引き抜いたのが、この尾尻君その人だ。彼は、確実に毎月、毎年、純増で部数を増やしてきた大のお得意様の選択出版を担当してきた大日本印刷の社員で、大日本印刷ではたぶん、売り上げ右肩上がりの優秀社員として、同期では最初に本社商印事業部長に抜擢された営業マンらしい。
 その尾尻君をどのようにして選択出版に引き入れたかを明かせば、湯浅君の陰謀は明白になる。

密かに歩み出していた1社2営業部制

 平成4年(1992年)頃のことであった。ボーナス査定を巡っての湯浅君とのトラブルで、出勤した編集部員が1人を残して4人同時に辞めてしまう事態が起きた。この時、湯浅君の人事管理の不行き届きが招いた社員の集団退社という危機を救ったのが、尾尻君だった。尾尻君は、機敏に編集業務の助っ人を連れてきて対処し、何とかやりくりして雑誌を発行にこぎつけたのである。
 湯浅君の陰謀が発覚したのは、平成5年(1993年)のことだった。私がそれを知ったきっかけは、ある企業から「選択出版の分室から『選択』の購読継続の勧誘がきているが、どうなっているのか」と問い合わせを受けたことに始まる。
 調べてみると、尾尻君の大日本印刷での助っ人グループのような存在のTを社長にしたオリトプランという会社が、「選択出版分室」という名刺を使って拡販営業をしていた。しかも、購読料の入金先まで新たに「雑誌選択広告営業部」という名義を使って口座を作り、オリトプランに金が集まるように仕組まれていた。名刺の1部には、「選択総代理店」と小さく刷り込んでカムフラージュしていても、営業担当である専務の私にはまったく一言の相談もなく、知らないことであった。
 今も手元にあるが、当時、会議を全く開かないため、毎月私が自発的に飯塚と湯浅君に提出してきた、印刷部数、発送部数、活用内容の「報告書」の控えを見ると、1993年9月号では、7万4,000部印刷し、詳細に無駄なく活用している中で、「広告用」としてオリトプランに130部渡されていたことが分かる。この「広告用」というのが、湯浅君の私への偽装だった。水面下で、麹町に尾尻オフィスが設けられ、湯浅主導、飯塚黙認の、常識では考えられない1社2営業部制が密かに歩み出していたのである。
 こんなことをしながら、経営者に訓をたれる「選択」誌面を作り続けた神経は不可解だが、これもまた湯浅君の読者を欺く行為の1つだったわけである。次号では当時の経緯を詳しく書くことにします。    
(次号に続く)

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